刊行の辞 周倩さんは、2015年9月立命館大学大学院文学研究科日本文学専修博士課程後期課程に入学され、2019年9月博士の学位を取得されました。 当論文は、芥川龍之介文学の中で中国(古典作品含)または中国人を題材としている作品に着目して、従来の先行研究を精査し、その問題点を指摘したうえで、作品ひとつひとつを細緻に解読することでその共通する主題(テーマ)や意味について解明しようとしたところに特徴があります。本論考の成果は、六点挙げられます。は、他者である中国人の視点に立って<戦争>を見返す姿勢を指摘したことです。第二は、「文明/野蛮」といった二分法的眼差しに疑問を呈し、近代化を優位とする一方的な見方を疑う態度を指摘したことです。第三は、植民地主義(南進論)への批判的な眼差しを読み取っていることです。第四は、中国艶情小説���の親炙によって、芥川はそのロマンチシズムよりも秩序や制度から自由な野生の生命力を汲み取り、それを中国人女性像に反映していることを論証していることです。第五は、娼婦を主人公とする一連の物語が帝国主義的な抑圧への明確な反発の標しであると指摘したことです。第六は、芥川龍之介の中国古典に対する懐古趣味が現実の中国ではすでに空虚で無意味であるとの現実認識に至ったとの指摘がなされた点にあります。上記の論点を勘案し、論文全体を見れば、芥川文学における中国のイメージや女性像は、西洋列強が中国に対して抱いたオリエンタリズム的な眼差しと大きく一線を画し、自己の内なる他者と向き合いつつ、他者とのインタラクティヴな眼差しに基づくものであることを精確に論証し得ています。これまでオリエンタリズム的視点への批判は、主に中国人研究者によって部分的に言及されてきましたが、その多くは結論ありきの演繹的な問題提起であったのに対して、本論は芥川の各作品と正面から向き合い、緻密な分析?考察を通して、上記六つの論点を積み上げる帰納的な論理展開によって結論を提示し、大きな成果を上げています。先行文献を広く渉猟しながらそれに埋没せず、論旨も明解で、日本の近代化の過程で、「抑圧」?「排除」?「周縁」化されたものに対する芥川の認識とその表象を明らかにし、芥川文学(作品)の位相を示す優れた論考と成り得ています。 周さんは、学会や研究活動にも積極的で、国際芥川龍之介学会や日本文芸学会など国内外で研究発表を行い、専門家から高い評価を得ています。また、私が顧問をしています近代文学研究会や日本近現代文芸研究会では幹事役を担ってくれ、後輩たちへ的確なアドバイスや助言など親身な対応を行って、他の学生たちからも信頼されていました。大学では、ティーチングアシスタントとして複数講義のサポートなども行っていただきました。 大学院在学時から将来の目標を研究職と定め、ただ専門性を高めるだけでなく、教育面での興味?関心も強いことから、このような経験を通して研究と教育の両面で自己を伸ばして行こうとする姿が看て取れます。何事に於いても明確な目標を把持し、情熱をもって継続して取り組み、達成して行こうとする姿勢は、周さんのもっとも選れた長所だと言えます。つねに真摯に研究対象と向き合い、研究への情熱を継続し、研究者として成長し続けられています。指導教授として、博士学位論文を基底に一冊の著書の刊行を心底より願っておりました。今期その機会を得て出版の運びとなりましたこと、たいへん嬉しく思います。近代文学、とくに芥川文学を研究する方々や芥川作品を愛する読者の皆さんに広く読まれることを希望いたします。 立命館大学大学院文学研究科長?文学部教授 瀧本和成